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...... ~ 摂州宝山荘生まれの豆柴リクの成長記録 ~
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ペットストリート フォトコンテスト
H22/3/8~H22/3/14掲載

「みんなおっちゃん。おやじ度選手権!」入賞
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あっという間だった函館旅行。

すごく新鮮で、凄く楽しかったです。


中学の修学旅行は、ほぼ何も調べないで適当に回ってました。


でも、自分で調べて、行く順番も決めて、って何もかも自分でやると、楽しいですね~!!
地図も事前に見てるから、だいたい分かるんですよね、方向が。
(ただし、道は迷路だけどw)

街中の、面倒な道路は、ツレに任せて。







そして、大沼公園や各道の駅に寄り、愛犬を遊ばせて、ツレの実家に向かいました。



そして、ツレの実家から私の実家に向かっている時に。。。。





雪かよ!! まだあるのかよ!!

さすが、峠です。
5月14日です。 世間では暖かいです。

冬タイヤから交換しないで、良かったぁ・・・。



そんな感じで、1週間近くの旅行?も終了をいたしました^^


また、函館行きたいなぁ♪
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函館最期の日、夕飯はペンションで取る事にしました。
(アタクシの誕生日でもあった為、ワインで歳三さんに乾杯w)


ビールでも飲みたいねぇ!!


折角だから、コレ飲もうかねぇ!!





『コレください!土方歳三ビール!!』



『すみません、切らしてるんですよ』



Ω\ζ°)チーン






仕方ない、店に並んでいたビンでも写そう。。。




5月11日なんだから、沢山仕入れて置いてくださいな。
15時頃、土方歳三記念館に到着しました。

すでに客人はボチボチ・・・・。
ちょっと遅かったかもしれませんね。
というか、5月11日でも平日。そんなに人はいないか(笑)

というか、すいてて見やすかった!!
大量の人ゴミでは落ち着きません。






入口には大きな歳三さんが♪
っていうか、もっともっと、写真撮りたかったなぁ。
次回への課題ですな♪








これは面白い!! てか欲しい!!
土方さん仕様の自販機ではありませんか!!!
中身は普通でしたが(笑)





入ってすぐに掲げてあった歳三さん。


中に入ったら、もう、撮影は禁止です。



中には、隊士たちが使っていたとされる刀の拵えが沢山並んでいました。

『俺は美濃の之定が欲しい』

だったかな? 土方さんの言葉(ちょっと違ってたらゴメンナサイ)



之定は兼定の二代目ですね、確か。
総司さんと大石鍬次郎さんの愛刀と言われている加州清光も、噂されている菊一文字もありました(拵)
鬼神丸国重もありました。斎藤さんですね。
( ̄^ ̄)ト-ゼン、虎徹もです^^
もう、覚えられないくらい!!

残念だったのは、写真が撮れないなら、メモ持ってって書きうつししてきたかった~!!

天然理心流の木刀もありました。
コレは、普通の木刀よりも一回り大きいものらしいです。
(たしか、どこかのネットで書いてあったような)


ツレも歴史好きな人なので、コレには大喜び♪


洞爺湖の木刀よりも太さが2倍もありそうに見えました。
だって、本当に、鞘に納めた刀と同じくらいの大きさなんですもの!!


そして、名前は分かりませんでしたが、元新撰組隊士の戸籍、永倉さんの若い頃と、出回っているおじいちゃんになった写真、もちろん、新撰組隊士達だけじゃなく、維新志士達の写真もありました。


江戸時代に使われた、金銭やタンスなども。
土方さんが、使いはしなかっただろうけど、腰につけていたであろうリボルバーの銃も。


鉢金、くさりかたびらみたいな鎧(よく新撰組漫画で見ますね)。

新撰組、主な事件の年表。

ガトリングガン。 火縄銃。 銃剣なんて初めて見ました!!

そして、悲しいかな、沈没してしまった『開陽丸』の舵、羅針盤、船中時計。。。


言い出したらきりが無いです。



こういう物たちとともに、闘っていたんですね。


江戸幕府が所有していた『開陽丸』。
土方さんや榎本さんの間の前で、座礁し沈没してしまったんですよね。
『開陽丸』が沈没しなかったら、まだまだ闘いは続いていたかもしれません。

でも・・・もしかしたら、蝦夷地はもっともっと、戦地で悲惨な状態になっていたかもしれません。


今は、開陽丸は引き上げられて、遺品とともに江差町にあります。

一生に一度は、見に行きたいな。




蝦夷に戦争を持ってきた旧幕府軍と、それを追いかけてきた新政府軍。
正直、蝦夷人にとっては迷惑な話ですよね(笑)
でも、死体を埋葬することを許さなかった新政府軍に反発して、旧幕府軍の遺体をお寺に集め、ちゃんと埋葬されました。


先導した人は、新政府軍から打ち首にされそうになるにも、堂々とした態度で接したため、無罪になったそうです。


その、土方さんを含め、800人ほどの戦死者が祀られてるのが、『碧血碑』なんですよね。



蝦夷の人たちが、よそ者であった旧幕府軍に対して、丁寧に対応したのは、やっぱりその勇気と生き様、人としての在り方を見たからなのかなぁと。。。
(まぁ、五稜郭を乗っ取られてしまったワケだけど^^;)

だから、今でも、大事に大事にされているのではないでしょうか。





大事に取ってあります♪ 土方グッズを買った袋(*^-^)


五稜郭に行ったのちに、せっかくなので四稜郭にも足を運んできました。

寂しい事に、ココには何もありません。











愛犬も、あまりに広くてあまりに何もない為に固まってましたが、とても綺麗に整備されていました。


四稜郭は、五稜郭を敵から守っていたのです。
上から見ると、町が羽を広げたような形をしています。




~wikiより~


空堀に囲まれ、規模は東西約100メートル、南北約70メートル、周りには幅5.4メートル、高さ3メートルの土塁が巡らされ、土塁の周辺には幅2.7メートルの、深さ0.9メートルの空濠が掘られている。
四隅には砲座が配置されている。南西側に門口があり、その後方に幅0.9メートルほどの通路が設けられている。
郭内には建物は建設されなかったようである。
面積約2万1,500平方メートルを有する。
4つの突起を持つためこの名がある。
別称は、新台場、神山台場、新五稜郭などある。

五稜郭を援護する支城として、また東照宮を守護する為に北東約3キロメートル離れた丘陵上に洋式築城法により築かれた。
建設には旧幕府兵卒200人および近隣住民100人が徴用され、昼夜兼行の突貫工事で造り上げたと言われる。
しかし、堡塁としては脆弱であり、立て篭もるには手狭で井戸等の設備も存在しなかった。
星形要塞であるものの、実際には野戦築城に近いものである。

建設を指揮したのは大鳥圭介あるいはブリュネ大尉といわれている。



土方歳三最期の地碑の後、10時頃に五稜郭に到着しました。


いや・・・・平日ですよね?
何ですか?この人だかりは・・・・・。

混んでました^^; 11日だから??(和歴土方命日)


っていうか、やっぱりココでも大量の修学旅行生に会う。
ゆっくり見たいが・・・・人でいっぱい。
しかも、市内の保育園トカの遠足か何かなのか?
園児達が・・・・(;´Д`)
五稜郭タワーの中で大騒ぎなんでゴザイマスよぅ・・・・。




さっそく、五稜郭タワーのロビーで歳三さんに会いに行ってきました。









どの角度から撮っても暗いんでゴザイマス。
ごめんなさい、顔がよく見えないんです。
暗いんですぅぅぅ・・・・。






カッコイイ絵が沢山あって、写真もたくさん撮ったんですが、ココに全部載せられないので・・・(T0T)
2枚ほど(写真は何十枚と撮ってきました^^;)





タワーのてっぺんです。 やっぱり暗い・・・。




みんな、順番で写真を撮っているので、なかなか沢山チャレンジ出来ず。
人がワラワラと集まると、見えなくなりますからねぇ。




タワーから見た五稜郭です。
桜が綺麗ですね!! もっと早くに来たら、最高だったかもしれませんが、実は、GW中は天気が悪すぎたんですが、1週間送れて休みを取れた私達には最高の天気でした!!

良かった!! 日ごろの行いだね!!(何もしてないからね)




去年出来た、箱館奉行所です♪ 中には入りませんでした^^;
人混みすぎて・・・・。






新撰組グッズも買って大満足です♪
ホントはもっとすいてると良かったんだけどなぁ(笑)

・・・それは仕方が無いか^^;
リク
🐕

★: リク(小哲丸号)  ♂

2009年2月27日生まれ
(大阪 摂州宝山荘)

祖父 小黒清丸号
祖母 小白琴姫号
父  小貴丸号

祖父 小真竜号
祖母 小梅号
母  小悠姫号

家族の中でボクが一番、エライです。当然でしょ。

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